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2022/08/13 21:54

「夢二式」に教えられたこと

 

高橋律子

 

本著を出版してから,「竹久夢二」の研究者として声をかけていただく機会が増えた.本の冒頭にも書いたとおり「竹久夢二の美人画が好きか」と問われたら,いまだに好きとはいいがたい.実際,本を出版していただいた2010年頃は「夢二と言えば美人画」という印象を多くの人が持っていたと思う時代だった.それから10余年を経て,夢二のイメージが変わりつつある.いや,夢二の知名度は逆に下がってきているのかもしれないが,夢二のデザイン,夢二風のデザインをあちこちで見かけるようになってきた.2015年にユニクロで夢二デザインの浴衣が発売されたことなどは,いよいよ夢二デザインもここまできたか,とちょっと感慨深かった.  

海外で竹久夢二の業績が扱われることも,わずかではあるが増えてきた.2010年に北京在住の劉氏が『逆旅:竹久夢二的世界』を中国で刊行.2015年には,台湾から京都大学に留学した王文萱氏が,論文「竹久夢二の人形制作活動」で博士の学位を取得し,2021年に『竹久夢二 TAKEHISA YUMEJI』を台湾で出版した.さらに2021年末には王氏が共同企画する「浪漫1920s竹久夢二の視界」展が北投文物館で開催された.

ドイツのSabine Schenk氏とYale-NUS College直井乃ぞみ氏は,ともに竹久夢二研究者として2015年にオランダ・アムステルダムの美術館「Nihon no Hanga」で開催された竹久夢二展に関わり,英語で初めて夢二の図録が刊行されることとなった.直井氏は,2020年に『Yumeji ModernDesigning the Everyday in Twentieth-Century Japan』を出版している.これまで,ほとんど海外で紹介されてこなかった夢二である.版画や挿絵,デザインや人形など,より生活に近いところで,若い人たちを惹き付けてきたその図案が,再び世界の人たちに届けられていくことはとても嬉しく,また興味深い.大正モダンがどれほど国際的な価値観のなかで通用するのか見届けてみたい.

 一方,私自身の研究は,夢二研究とは少し距離はとりながらも,「夢二式」の研究をきっかけに,関心の方向性が定まったように感じている.竹久夢二というアーティストに心酔するというよりは,一人の作家をめぐる少年少女たちの姿と影響力に触れ,イメージをめぐって創造力のネットワークが構築される状況にとらわれたのだと思う.イメージは連鎖し,共感という形で人から人へ広がっていく.イメージが時代を作り,人々を動かしていく,そのイメージとクリエイションをめぐる社会構造に大きな関心を寄せている.

夢二研究以後の私の大きな仕事の一つが2012年に行った雑誌『オリーブ』の調査である.それも夢二式ならぬ「オリーブ少女」の生態を調査したいという思いからだった.3040代になったかつての『オリーブ』読者であるオリーブ少女たちの動向を探ったところ,専門職やファッションやデザインなどのクリエイティブ職についている人も多く,『オリーブ』が単なるファッション雑誌ではなく,「かわいい」という価値観を通じ,女性たちに自分らしい生き方を提示していたことが見えてきた.ZINEの展覧会を企画したのも同時期で,これも夢二の時代の回覧雑誌などの同人誌文化に連なるものとして検証したいと考えたからだった.小さな手作り冊子が,インターネットを介して世界に届けられる新しいメディアとして機能し始めていた時代で,マス・メディアを信頼できなくなった時代に表現はどう発信されていくべきかを問うものであった.

もう一つが美術史における手芸という技法についての研究である.夢二の時代から,少女雑誌に必ず掲載されていた手芸コーナー.なぜ少女雑誌はずっと手芸雑誌だったのかという謎と,手芸の技法が美術史のなかで正当に扱われてこなかった歴史に関心を抱くようになった.「オリーブ少女」たちを突き動かしたマインドの一つは,『オリーブ』のいわばDIY精神であったと思う.女性たちのクリエイションは,家庭のなかで手作りすることと連結することが多く,それが女性アーティストたちを日常と接続させる思考としても機能しているのではないかと考えるようになった.常に「夢二式」を始まりとしながら,近代から現代を繋げて考える習慣ができていった.

初版の版元であったブリュッケが廃業されることになり,本著もやがて消えゆくことを覚悟したとき,私は金沢21世紀美術館のキュレーターとして「フェミニズムズ」という展覧会の準備をしていた.この展覧会はまさにある意味,私自身の研究の集大成でもあった.少女たちが「ガール」としてエンパワメントされていく歴史は,「オリーブ少女」たちにも同様の傾向を見ることができるし,またZINEこそが90年代のフェミニズムを普及させるツールであった.夢二の時代から,自分らしく生きようとする少女たちの姿を追いかけ続けていた私のささやかな研究が,まさか「フェミニズム」という形で着地するとは思ってもみなかったが,少女たちはいつも宙ぶらりんな存在で社会に居場所を探しながら,不条理さに苦しんできたことを知っている.夢二自身も傷つきながら,無自覚な男性の一人として多くの女性たちを傷つけてきたに違いない.1990年代になって,内に秘めた声をガールたちが表現として発しだしたことを,大正時代の少女たちはどう感じるのだろうか.

フェミニズムズ展は無事開幕し,そして本著は美学出版の力添えで電子書籍化されることとなった.10年以上前の研究ではあるが,大正時代の日本美術史を概観するだけでなく,現代を眼差す上で多くの視点を提示する研究になりえているのではないかと思う.2022年,私は金沢21世紀美術館を退職し,社会人学生として通っていた大学院の学生として再び研究に専念し,現代美術とジェンダーの課題を文化社会学的視点から分析したいと取り組んでいる.また同時に2017年に立ち上げたNPOひいなアクションの代表として,子育て中の女性アーティスト支援活動にも力を入れている.「ひいなアクション」の「ひいな」は竹久夢二の人形展「雛によせる展覧会」から勝手に拝借した言葉である.ひな人形を意味する「ひいな」であるが,その展覧会が人形展であったように,ひいなは飾って眺める人形としてだけでなく,女性たちのクリエイションとしてあった.女性のクリエイションの象徴として「ひいな」と名付けたのだが,本研究を博士論文として提出した際の指導教官で,現在は金沢湯涌夢二館館長太田昌子先生が,このネーミングをすぐさま夢二からの引用であることを見抜かれたのはさすがである.引き続き,夢二式の時代を起点にしながら現代美術の課題に取り組んでいきたいと思う.

 最後に,電子書籍化に応じてくださった美学出版の黒田結花氏に深く感謝を申し上げたい.廃版になる予定であった書籍を救っていただいたことは,研究を次世代につないでいただいたと感じている.拙さもある論文ではあるが,怖いもの知らずで書き上げた面白さはあったのではないかと思う.一人でも多くの読者に夢二という時代の寵児に関心を抱いていただけたら,本当に嬉しい. 

(2022.7.24)

電子版 『竹久夢二:社会現象としての〈夢二式〉』

高橋律子【著】

A5判上製/392頁

本体価格 3,500円+税

ISBN978-4-902078-67-1

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